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how come you can't see me

寝ても覚めてもキムジェジュン

キム ジェジュン を見るために海外へ行った話

 

 

2016年12月某日。

 

全横浜が泣いたファンミーティングから約2年。
かのキムジェジュンが地球に帰ってくるという。(大袈裟)

 

2007年のHEY!HEY!HEY!から私の心を掴んで離さないアジアのスーパースターキムジェジュン様。

 

なにかイベントがあるならどこでも行くぞ!と固く心に誓いつつも私は どーせC-JeSなんだから2月ぐらいからイベントとかライブとかめっちゃ入れるんだろうな〜ゲラゲラ鼻ほじ くらいにしか考えていなかった。甘かった。パルスイート2kgを溶かした水飴よりも甘かった。

 

いつだったかサイン会決定の知らせが入ったのだがまあ日程が鬼畜。除隊したてのゴリラを殺すのか!?というようなスケジュールで心から怯えた。
更に当初は日付またいでファンミーティングしちゃうぞ☆などとほざいていたのだから授業中椅子から落ちた。
結果から言うとそのファンミーティングはなくなったしキムジェジュン単独ファンクラブも1日で砂上の城よろしくなくなったし我が愛しきゴリラの命が守られたと思うと世界を救った気になったから結果オーライなのだが。

 


問題のサイン会、12月30日から1月のほにゃ日まで私は旅行で台湾に行く予定だったから除隊のお迎えもサイン会も行けないのは分かっていた。行きたかったが。

 

なので諦めて私はジェジュンが帰ってきた!とうきうきを胸に台湾を満喫して帰国するはずだった。甘かった。パルスイート(以下略)よりも甘かった。

 

忘れもしない12月31日。
確か台北西門へ向かって歩いている最中だった。
Twitterをチラ見したらまあびっくり日本ツアー決定とソウルコン決定の文字。
大きく深呼吸をしてその場での発狂を免れたものの、これはホテルに帰ったらお祭り騒ぎだなと思いつつその時は静かにスマホを閉じた。

 

夜になりホテルに戻った私は年末特番的な番組をつけ、夜店で買ったチキンをつまみ、ファミマで買った抹茶ラテを飲みながらTwitterで情報を漁っていた。
そこでその日2度目のびっくりが起こった。
ソウルコン1月21-22日。チケッティングは1月2日。
私は17年間信じてきた己の目を強く疑った。
まだ短い人生、告知の2日後にチケ発3週間後にはライブという鬼畜なスケジュールなど見たことも聞いたこともなかった。
しかもメロンチケット(私はメロンチケットというチケッティング会社が世界で一番嫌いである)

 

とりあえず何よりも先に私の手は航空券とホテルの手配に動いていた。
いかんせんソウルの土地については詳しくないのでとりあえず大きい街のゲストハウスを取った。(そこはゲストハウスなのである)

 

画面の向こうのお祭り騒ぎにハッとなり気づけば年が明けていた。
こんなにあっけない年明けなどはじめてである。

 

年明けの挨拶もそこそこに韓国にいる数少ない友達2人に連絡を取り、チケッティングの協力を要請したところ、自分に興味の無いアーティストにも関わらず快諾してくれた。心優しい友である。
そして自分でもチケッティングを行うため、環境を整えだした。カードの残高を確認したりネット環境の確認をしたりetc...

 

とにかく1月2日はキムジェジュンのチケットと美味しい台湾料理のことしか頭になかった。
すると美味しい美味しい焼きそばを貪りながらはたと気づいた。韓国と台湾では時差があるがチケ発は韓国の時間に合わせるのだろうか。と。
まあどうにでもなるわとそのまま焼きそばを食べた。
間違いだった。地動説ばりに大間違いだった。

 

さすがに私のチケ発のためだけにホテルに早い時間帰らせるのは忍びない、と晩御飯を食べながらチケ発を行うことにした。
そして韓国の時間に合わせてメロチケのページを開くと、まだチケッティングか開始されていませんの文字。
なんとなーーーく嫌な予感がした。
その時はそのままホテルに戻り、こっちの時間に合わせてその時を待った。ページを開いた。

 

チケットは売り切れました。

 

そりゃそうだろうな!とブチ切れながらスマホをベッドに投げつけた。スマホに罪はない。
友達に連絡した所、奇跡的にチケットを取れたという。
自殺は免れた。

そうして波乱の台湾旅行は幕を閉じた。

 

 

時は流れて1月某日。
日本ツアーのチケット支払いに追われる私がいた。
まあその部分は後々このブログに認めるので今は割愛。

 

その数日後、私は韓国ソウル金浦空港目指して飛んだ。

飛んだとまあ軽く言ってはいるが大変だった。

グッズがまさかの当日発表。空港の椅子から転げ落ちた。

友達が大慌てで連絡してきて発覚。

グッズ欲があまりない私はとりあえずペンライトとタオルと盛れ盛れジェジュンちゃんのブランケットをお願いしておいた。

一息ついて飛行機に乗り込んだ。取った最安チケットがまさかのピーナッツリターン航空大韓航空だったので機内食がついてきた。それだけでハッピーになれる貧乏人である。

 

着いて早々友達1が到着ゲートでウェルカムボードを持って待っていてくれた。愛してる。
そこからぎこちない韓国語とぎこちない日本語での会話が続き、明洞のゲストハウスまで連れていってくれた。
チケットを取ってくれた友人とは会場で待ち合わせだったので最寄りである安岩まで私を送り届けて去っていった。優しい友である。

 

そこから徒歩で行ってもよかったのだが足が既に棒のようだったのでタクシーを拾ってぼられないように必死に運ちゃんに話しかけていた。
すると運ちゃん目的地を聞いて「ヨンウン?」とひとこと。
正直驚いた。JYJになってからというもの地上波はおろかテレビに映ることがパタリとなくなったのは身に染みてわかっていたと思っていたがまだヨンウンと呼ばれているなんて思ってもみなかった。
そっかヨンウンか…などと感傷に浸りながら予報とは裏腹に雪の降るソウルを眺めて約10分(しらん)、高麗大学の体育館に到着。3000ウォンを支払って外に出た。

 

カカオトークを確認すると、友達がブランケットとタオルとペンライトを買っていてくれた。至れり尽くせりすぎる。
お金を払ってブランケットをその子に預け、ライブが終わる頃に迎えに来る。とその子も去っていった。優しい友である。

 

会場に入ると山吹色のライトが明るい体育館内を照らしていた。
私の席はアリーナスタンディングだったのでそのままできるかぎり前に詰めてスタンバった。
ここまで来るのにとんでもない疲労感とお金を費やしたわけだがオープニング映像が流れ出した瞬間、全て報われたような気すらした。
今回のツアーに参加した人ならわかるであろう、あの登場でもうそろそろキムジェジュン神なんじゃね?なんてぼーっと考えていた。

 

途中途中のMCは韓国語を理解するのに多少のタイムラグはあったものの相変わらず面白かったし、ゴリラで帰ってくると思っていた身体はすらっと引き締まっていた。変態か。
数曲入りが遅れたりしてはいたが、つい先日まで2年ほど民間人をしていたのだからしかたない。ただ明らかに声量は上がっているように感じた。

 

私は隣にいたシアペンと思しき韓国人と打ち解けてVCRや守ってあげるの合唱では2人手を取り号泣していた。
なお連絡先は交換していない。

 

今まで日本のコンサートイベントにしか行ったことがなかったからか、ソウルコンは思っていたよりあっさりと終わった。約2時間半だった。

 

ゾロゾロ人波に流されながら外に出るとまあこれが寒い寒い多分氷点下はかたかった。
そして待っているはずの友人を探すがどこにもいない。
おかしいと思い連絡すると10時ぐらいに終わるって言ってなかったっけ!?とのこと。
ここでまさかの言語の壁が立ちふさがった。

 

これはしかたないことなので大丈夫と断り、1人で帰路についたのだがこれがまた危険だった。
先述したとおり、予報では晴れだったにも関わらずなかなかの雪が降っていた(多分キムジェジュンのせい)
その雪が冷やされて固まり、路面がものの見事に凍結していた。
しかも会場は少し坂道を登った先にある。つまるところなかなかの傾斜が続く。
行きは良い良い帰りは怖いとはまさにこの事で、ツルッツルになった坂を恐る恐るかなりの時間をかけて下っていった。

 


まあこの後は無事にゲストハウスに着き1晩を過ごして韓国を後にしたわけだがこれまたなにも面白くないので割愛(本文が面白かったなど誰も言っていない)

ただただソウルコン発表から行くまでのメモにすぎないわけだがこれを参考に初めて海外遠征するという各方面のみなさまのお役に立てればと思って書いた(嘘)

このソウルコンを機に私は「あれ?海外行くのって思ってたよりちょろいじゃん!」と海外遠征を幾度となく繰り返すことになるのはまた別の話。